ハンセン病 国の差別、後世へ残す 群馬・草津に資料館

「重監房」、一部を再現

 ハンセン病患者を劣悪な環境で収容した施設「重監房」。かつて全国で唯一、国立ハンセン病療養所の栗生楽泉園(くりうらくせんえん)(群馬県草津町)にあった負の遺産を後世に残そうと、厚生労働省が一部を再現した資料館が30日、園内に開館する。翌1日から一般公開する。

 重監房は1938年に設置。当時、療養所に強制的に入れられ、労働を強いられた患者の反発を抑え込む懲罰施設として使われた。47年まで9年間、全国の療養所から患者延べ93人が送り込まれ、23人が房内や房から出た直後などに死亡。47年に国会で問題になり、廃止された。

 資料館では重監房の一部を実寸大で再現。国による昨夏の跡地調査で見つかった食器や梅干しの種などの遺物、当時を知る人の証言もパネル展示する。

 国による人権侵害の象徴として後世に伝えようと、元患者や弁護士らが2003年に「復元を求める会」をつくり、04年に10万人の署名を同省に提出し、復元を求めていた。

 入館無料。問い合わせは重監房資料館=電0279(88)1550=へ。

長い収容、悲惨な死
画像「なぜ重監房がつくられてしまったかを考えてほしい」と話す佐川さん=東京都東村山市で

 「ご飯は、にぎり飯1個分もない。梅干し1個。たまに高菜が2、3切れ」。栗生楽泉園に1945年3月から13年間入所し、当時、重監房に収容された人に食事を運んだことがある元患者の佐川修さん(83)は、収容者の人権を無視した過酷な扱いを振り返った。

 具なしの汁物が付いた3食を与えられた一般患者でさえ空腹に悩んだが、収容者の食事は朝、昼の2回だけだった。

 夏は湿気がひどく、冬は氷点下十数度。重監房の劣悪さは全国の療養所に伝わった。収容の根拠とされた旧らい予防法は収容期間を最長2カ月としていたが、多くはその限度を超え、1年半の収容の末に亡くなった人もいた。

 食事は壁の下の隙間から差し入れた。房内には電球がなく真っ暗。相手の顔も見えない。

 「今日は何日だ」「天気はどうだ」。短い言葉をかけてくる18歳の男性がいた。ある日、「カラスが迎えに来た」とうわごとを繰り返し、2日後に他界した。収容は1年2カ月に及び、遺体は骨と皮だけにやせ細っていた。「心身ともに追い詰められての死」と佐川さんは思ったという。

 今は東京都東村山市の国立ハンセン病療養所・多磨全生園(ぜんしょうえん)で暮らす佐川さん。「ハンセン病患者を隔離撲滅する政策の象徴が重監房。できた背景を考えてほしい」とかみしめた。【出典:2014年04月30日 中日新聞】

決して忘れてはいけない

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