わくらば わかれじ

 「はい、なんでしょう?」
 腰が曲がり、右手に杖のおばあさんに呼び止められた。困っている様子で、身体をモジモジさせている。小さくて、とても可愛らしいおばあさんだ。天国のばあちゃんと重なる。
 「あのな。すみませんがのう。いつものがないんじゃ。茶色い飲み物でな。黒と茶色と赤色で、細長い缶のなんじゃ」
 きっと常連さんなのだろう。急な先輩の代役に分かるはずもない。ただ、捜し物は飲み物らしい。私は、ありったけの飲み物を飲料ケースからかき集め、レジカウンターに並べた。だけど、おばあさんの捜し物は見当たらなかった。そこへ奧の事務所からコンビニの店長が現れた。一つの缶コーヒーを持っている。どうやら、私たちの会話を聞いたらしい。
 「いつもありがとうございます。いつものこれでしたね。百十円になります」
 「おおう。これじゃ、これじゃよ」
 おばあさんは、これ以上にない満面の笑みで去っていった。
 「あのお客さんはね。毎日、これぐらいの時間にやってきて、いつも同じ缶コーヒーを買っていく近所のおばあさんなんだよ」
 店長の言ったとおりだった。明くる日も、その明くる日も、同じ時間にお店へやってきて、同じ缶コーヒーを手にすると、おばあさんは、満足そうにニコニコと去っていった。

 ある日のことだ。大学からの帰り道、いつものおばあさんを見かけた。杖をつきながら、ゆっくりとした足取りで、中央公園へ向かっている。気になった私は、すぐ跡を追った。
 夕暮れの中央公園。小さく背中を丸めたおばあさんが、ちょこんと一人ベンチに座っていた。声をかけようかと思ったが、私は、しばらく後ろの木の陰から様子を見ていた。
 おばあさんは、おもむろにエプロンのポケットのあたりをゴソゴソ、ゴソゴソとする。いつもの缶コーヒーだ。パチン、パチン。ようやくプッシュとフタを開ける。
 「ほーら、いつものですよ。夕べはですね。里芋の煮転がしを食べましたよ。お昼も、その残りを食べてきました」
 おばあさんの話し相手は、いったい誰だろう。私は、そっと近づいていく。
 「今夜は鯖の味噌煮です。そう言えば、おじいさんの好物でしたね」
 ほっほっほっと静かに笑うと、おばあさんは、大事そうに両手で持っていた缶コーヒーを傾け、コーヒーを地面へ流している。飲ませているという言葉の方が正しかった。
 「あら?」
 突然、こちらを振り向いたおばあさんと目があってしまった。私は、もうパニックだ。
 「あっ、あの…。こんにちは」
 「はい、こんにちは。あんたは…」
 「はい、いつものコンビニの店員です。そこで見かけたので、つい声を掛けようと…」
 いったい、何を言い訳しているのだろう。思いっきり動揺していた。
 「さぁ、ここにお座り。空いているから…」
 おばあさんに怪しまれただろうか。当然だ。ただの興味本位だけで、私は、おばあさんのこころを覗こうとしたのだ。自己嫌悪。
 「ここはじゃ。よくおじいさんと二人で来てたんじゃよ。おじいさんはのう。もう逝ってしもうたんじゃ。早くお迎えに来てほしいんじゃがのう」
 「そんなことは、絶対にダメですよ。いつまでも元気で生きてください」
 思わず大きな声を出してしまった。一瞬おばあさんは、小さな目をまん丸くしたが、すぐににこやかに、ほっほっほっと笑った。
 「本当にいい子じゃ。優しい子じゃ」
 おばあさんは、しわくちゃな小さな手で何回も、何回も、私の頭をなでてくれた。
 本当に久しぶりだった。大学に合格したって、田舎のばあちゃんに報告したとき以来だ。あの時も、こうやって嬉しそうに私の頭をなでてくれた。優しくて、暖かくて、元気にしてくれる。私には、魔法のヨシヨシなのだ。
 「あっ、おばあちゃん。やっぱり、ここにいたんだ」
 「おう、ユミちゃん。すまなんだのう」
 「おじいちゃんとのお話。どうだった?」
 「うん? 内緒じゃよ。内緒じゃ」
 「つまんない。ユミも、おじいちゃんとお話ししたかったなぁ。
 あっ、そうだ。おかあさんが、早く戻っておいでって」
 「そうじゃのう。そろそろ帰ろうかのう」
 おばあさんは、缶コーヒーを全部空にすると、満足げに微笑む。そして、ゆっくりと立ち上がると、おばあさんと小さな女の子は、私に微笑んで帰って行った。手をつなぎ、楽しそうに話しながら去って行く二人の姿は、いまでもはっきりと覚えている。
 そうだ。その次の日からおばあさんは、突然コンビニに来なくなったんだ。黒塗りの大きな高級車が、お店の前を通り過ぎていく。その理由は、すぐに分かった。
 「きっと、寂しがり屋のおばあさんのために、天国のおじいさんが迎えに来てくれたんですよ」
 「そうだよな。この缶コーヒー、あとで飲もうか?」
 「はい、いただきます。あっ、お待たせしました。こちらへ、どうぞ!」
 いつものようにレジの前に立つ私。
 でも…。
 ポトリ。ポトリ。次々と溢れてくる涙がレジの上に落ちていく。

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