母の日・父の日募金キャンペーン:閉鎖の「保育室たんぽぽ」から
◇困難な親子支え30年
毎日新聞「母の日・父の日キャンペーン」は4年前「贈り物をする親がもういない」という読者の声から始まり、贈りたい思いを困難に立ち向かう子どもたちへの支援につないできました。今回の舞台は家庭のさまざまな事情を抱えた子を24時間態勢で受け入れてきた保育室たんぽぽ(東京都豊島区)。財政難で昨年閉鎖されましたが、再開を目指して活動を支える人々と、そこに集う子どもたちの姿を2回にわたり紹介します。
◇24時間、家庭的環境で 公的補助なく資金難に<3歳児を預かってください。困っています>
30年ほど前、保育室たんぽぽ園長の太田厚子さん(69)は公園の電信柱に張られていたある母親からのSOSを見つけた。働く母親が増える一方で子を預けられる場所は乏しく、安全性の確保されていない施設で幼児が死亡するケースも社会問題化していた。
当時ベビーシッターをしていた太田さんは「家庭的な保育をしたい」と思っていた。張り紙をした母と子に直接会ったことがきっかけで、自宅を改造して「保育室たんぽぽ」をスタート。30年間で預かった子は1000人を超え、太田さんは「たんぽぽ先生」と呼ばれるようになった。
病気や発達障害で他の保育園を断られた子、母親ががんを患った子、夜のネオン街で働くシングルマザーの子……。できる限り受け入れたのは「親の事情にかかわらず、一人一人の個性を未来に羽ばたかせたい。幼いころに選択肢を狭めてはいけない」との思いからだ。犬猫も暮らす一軒家で、台所に立って料理の腕をふるい、若いスタッフらとアットホームな子育てを続けてきた。
運営は厳しかった。無認可で公的補助はなく、親たちが保育料を払えなくなると、資金繰りは窮地に陥った。さらにたんぽぽ先生も体調を崩し、昨年暮れに閉鎖。「今いる子たちの行き場がなくなることは避けなければ」と、先生の長女ナオコさん(43)が民家を借り、小さな保育室「わたげclub」を始めた。今はナオコさん一家と親元を離れた10歳の少年が暮らし、数人の子が通う。机一つの小さな居間がみんなの遊び場だ。
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毎週水曜日の夜、わたげは一段とにぎやかになる。「セイタパパが来た!」。たんぽぽで育ったセイタ君(16)のお父さん(40)が横浜からやって来る。子どもたちを連れて、近所の小学校で開かれる空手クラブへ向かう。
セイタパパが初めてたんぽぽに来たのは14年前。妻と離婚し、当時まだ1歳だった長男セイタ君を引き取った。シングルファーザーに対して社会は今以上に厳しかった。都営住宅の募集も、母子家庭の枠はあるものの、父子家庭はゼロ。支援も少なく悩んでいた時、知人の紹介でたんぽぽに出会った。たんぽぽ先生は若いパパ、ママたちも見守ってくれた。
セイタパパは両親を知らない。おばあちゃんに育てられ、18歳で鹿児島の家を出た。午前5時に起き、セイタ君をたんぽぽに預けて建設現場へ。たんぽぽ先生がお昼のお弁当を持たせてくれることもある。セイタ君が小学生になりたんぽぽの仲間と空手に通い始めると、保護者として付き添い「子どもたちに黒帯を取ってほしい」と思うようになった。
セイタ君はもうたんぽぽを卒業し、高校に通う。それでもパパはここに来る。「セイタを育ててくれた恩は一生かかっても返せないけれど、少しでも、と思ってね」。練習が始まり、先生の手ほどきを受ける子どもたちを後ろで見守る。足の向きが違う子に近寄り、そっと直してあげた。
「リュウマ一番声出てるね。技も決まってる」。先生にほめられたリュウマ君(9)が目をクリクリさせ、うれしそうだ。「一人で家にいる時は寂しくてたまらない。でもたんぽぽに来ると、いつも誰かが僕のことを見ていてくれるんだ」。小さな体を力いっぱい動かした。
練習が終わり、午後10時になると、お母さんが迎えに来る。リュウマ君の母親(33)もシングルマザーだ。リュウマ君が1歳の時にウェブ広告の取材・編集をする会社でパートを始め、預かってもらう場所を探していてたんぽぽを知った。「リュウマには母親しかいないので、たくさんの大人と接することができるのがありがたいですね」
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たんぽぽを引き継いだわたげclubで、すくすくと育っていく子たちがいる。でも、ベビーベッドもなくスタッフもいない現状では、たんぽぽ時代のような夜間保育や乳児を預かることはできない。「子どもを預かって」といった切実な電話は多いが、ナオコさんは「話を聞くと預からなきゃ、って思ってしまうので、聞かずにお断りするしかないんです」と残念がる。
働かないと暮らせない。でも安心して子を預ける場所がない。懸命に生きる親子のために、みんながたんぽぽ再開への思いを募らせている。
◇見守られて、乗り切れた
◇巣立った親子、きずな強く 感謝込め「私も何かしたい」さまざまな事情のある家庭の子を24時間態勢で見守り昨年末に資金不足で閉鎖された保育室たんぽぽ(東京都豊島区)。巣立った子どもたちや親、保育スタッフのきずなは今も強く、再開の夢をあきらめていない。
5月末、都内の飲食店で、5、6月生まれの子どもたちの誕生会が開かれた。カラオケが盛り上がる中、主役の一人、タクヤ君(19)が年下の男の子と「あっち向いてホイ」を始めた。負けた方の顔にペンで落書きし、あっという間にほっぺたやおでこはインクだらけ。3歳の女の子がお菓子の袋に手を伸ばすと「食べ過ぎちゃだめ」と、床に落ちそうな袋を押さえてあげた。
タクヤ君は小学校6年生で両親と離れ、たんぽぽで育った。母は今の父の転勤で福岡へ。一緒に行こうと言われたが「友達と離れたくなかった」。学校からたんぽぽに帰ってご飯を食べ、みんなと遊んで、眠った。
高校時代には友達の家に入り浸り、学校もさぼりがちになった。たんぽぽを創設した太田厚子さん(69)、愛称「たんぽぽ先生」はしかる代わりに「友達も連れてご飯を食べにおいで」と声をかけてくれた。高校を中退した時は、たんぽぽ友達のお父さんの紹介で就職できた。
今年3月から1人暮らしを始めた。たんぽぽの後を細々と引き継ぐ保育室「わたげclub」につい足が向いてしまう。「ふらっと飯食べに行っちゃうんだよね。きっとみんなが『実家』って呼ぶ所より、人がいっぱいいて温かい。得した感じ」と笑う。
よく思い出す言葉がある。「あなたは3億分の1なのよ」。たんぽぽ先生が言ってくれた。お父さんからあふれた3億の精子から、たった一つがお母さんの卵子と結びつき、かけがえのない自分の命になった。「そんなこと、考えたこともなかったから」
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5月で9歳になったサッちゃん=仮名=はみんなからもらったプレゼントの包みを開けた。現れたのはお菓子やトランプ。週末だけわたげclubに通う。「なんだかね、わたげに着いたときに、ほっとするの」
母のナツミさん(35)=同=が離婚後2人の子を連れて九州から上京したのは29歳の時だった。新しい交際相手はサッちゃんたちをかわいがってくれる人で、再婚を考えていたが、だまされていたと分かった。
いまさら故郷には帰れない。ナツミさんはタウンページでたんぽぽを見つけ、サッちゃんたちを預かってもらい、営業の仕事を続けた。でも自分自身の心はぼろぼろ。食欲がない日には、たんぽぽ先生が「みんな家族だから頑張ろうね」と、リンゴのワイン煮を持たせてくれた。
落ち込んで子どもを迎えに行けなかったこともある。たんぽぽ先生の長女ナオコさん(43)に「ダメだよ、しっかりしなきゃ」としかられた。「たんぽぽはすべてを受け入れてくれた。スタッフと先生がいつでも迎えてくれる『巣』のような場所でした」
誕生会が開かれた飲食店も、たんぽぽと縁が深い。長女(17)を生後2カ月から預けていた女性(40)が経営し、イベントに場所を提供している。女性は「だんなが働かなくて」夜の勤めを始め、店の紹介でたんぽぽを知った。初めての育児は心細く、長女は熱が出たり発疹(ほっしん)ができたり。乗り切れたのは、いつもたんぽぽ先生が「安心して働いてきて」と送り出してくれたからだ。感謝の気持ちは「たんぽぽのために何かできたらいいな」との思いに変わっていった。
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たんぽぽ先生は2年前に心臓病、今年1月に脳梗塞(のうこうそく)で倒れた。元気な時にはわたげclubに顔を出す。
30年間の活動で先生自身が教えられたことがある。「子どもたちは子どもらしくいられる場所を求めている」。家庭にどんな事情があっても、一人一人がかけがえのない存在であることを感じてほしい。たんぽぽ先生の願いだ。【出典:毎日新聞】
なぜ、この国は子どもたちに優しくないのか。地域や社会で子どもたちを育てることをしないのか。私たちは、何か大切なことを忘れてしまっている
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