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8 月 21 2008

遠き親へ:シリーズ介護・第1部 会社員・高木さんの場合

Published by webmaster at 19:54:53 under NEWS Selection

◇休暇を活用、度々帰省--母とメール交換、状況知る

 故郷を離れた企業戦士は親の老いとどう向き合えばいいのだろう。大手IT企業に勤める東京都府中市の高木秀雄さん(55)は、鳥取県米子市の父(85)と母(78)を遠距離介護してきた。老親2人の暮らしは年々危うくなり、定年を目前にした息子の心は揺れる。

 午前6時53分。私は通勤ラッシュを避け、いつもの各駅停車に乗る。ズボンのポケットでマナーモードにした携帯電話が震えている。今朝もお袋からのメールだ。

<米子も晴れ間が出て、気持ちがいい だよ。今日もおじいちゃんがね……>

 絵文字をちりばめた長い文が続く。親父(おやじ)はリハビリがきつくて脚を痛めたようで、もう行きたくないと言っているらしい。お袋は携帯電話を使い始めて6年。少しずつ操作を覚えてきた。

 会社の昼休み。私は返事を送る。

<二人とも転ばないように、気をつけてね >

 文章は短いけれど、楽しんでもらえるように、絵や文字が動くデコメールにした。お袋は私からのメールの着信音だけ他の人と変えているようだ。

    □

 私と姉の2人が巣立ち、実家で両親だけの暮らしになってもう35年になる。体の弱い親父はあちこち手術を重ね、今では室内を伝い歩きするのが精いっぱい。「要介護2」と認定されている。

 その親父を老老介護してきたお袋が2年前、口内がんで大手術を受けて以来すっかり元気がない。だが「要介護2」から「要支援1」に落とされ、介護保険で通院の際の乗降介助を使えなくなった。夫婦で家にこもりがちだからか、先を悲観するメールが増えたのが気になる。

 実家の近くに住む姉(58)は看護師をしながら女手一つで子育てしている。勤め帰りに顔を出してくれているが、地方病院は看護師不足で仕事は増えるばかり。体も弱く、任せきりにはできない。

 「もうヘルパーに来てもらうしかないよ」と私は何度も言うのだが、お袋は「ヘルパーを家に入れるぐらいなら施設に行く」と譲らない。台所は専業主婦の城なのだ。本当はきれい好きなのに、散らかった所を人に見られるのがつらいらしい。ところが親父の方は「施設には絶対に行かん。この家におる」と。お袋の手術の時に短期入所して、寂しい思いをしたようだ。

 私は2~3カ月に1度、休暇を取り帰省する。幸いわが社には「ライフプラン休暇」という制度があり、余った年休を積み立てボランティアや親の介護に利用できる。ただ何日も取ると仕事に支障が出るので、土日を絡め3日間休むのが普通だ。

 帰省中は姉と話し、親が少しでも楽に暮らせる方法はないかと考える。頑固な両親を姉1人では説得できない。親父が命にかかわる治療を迫られた時も、同意を決断したのは長男の私だった。

    □

 会社でいま私が在籍する内部監査室は、課長の私を含め5人とも40~50代。酒席で親の介護の話になると、きりがない。みんなそういう年になった。

 新人時代に研修で親しくなった同期がいた。今春の同期会で25年ぶりに再会すると「青森で1人暮らしの母親を介護するため、退職して1人でUターンした」と聞き、驚いた。給与がゼロになり、東京に残した妻子も生活に行き詰まったようだ。最近再就職し、口座に久しぶりの給与振り込みがあったのを見て、夫婦で泣いたという。身につまされた。

 私も来年3月、いよいよ定年だ。住宅ローンを完済するには再就職しなければならないが、この年では資格があるほうが有利だ。夜明け前に起きて勉強し、公認内部監査人の資格を取った。

    □

 今年4月。親父がよく室内でつまずくようになり、実家をバリアフリー工事した。安全になったのかを確かめたいが、仕事が詰まっている。私は5月末の米子行き航空券を予約した。
 ◇介護休業、運用に難--働き盛りの離職増加

 家族に介護が必要になった時、法律で取得が認められている介護休業。しかし実際に取得する人は極めて少なく、働き盛りにやむなく離職する人も増えている。

 育児・介護休業法では家族に2週間以上の介護が必要になった時、施設に入れるなど介護方針を決めるような期間が必要だとして、通算93日間休むことができる。だが方針を決めた後も休みが必要になることは珍しくない。取得を理由に企業が従業員を不利益に扱うことは禁じられているが、仕事に穴を開けられず、欠勤や遅刻でやりくりし、立ちゆかなくなる人もいる。

 独立行政法人労働政策研究・研修機構の池田心豪(しんごう)研究員は「育児と違い、介護は将来の見通しが立ちにくい。休みが必要な状況がケースによって異なり、93日では足りない人もいれば、短期の休みを断続的に取りたい人もいる」と柔軟に運用できる制度の必要性を指摘。「企業内でも従業員のニーズを把握し、労使で話し合うことが一層重要になってくる」と話す。

◇Uターン、母は望むが--定年間近…再就職は不可欠

 85歳の父を老老介護してきた母(78)が弱り、休暇を取っては鳥取県米子市に戻る高木秀雄さん(55)。母は息子のUターンを望むが、東京のマンションはどうするのか。実家とマイホーム、二つの家をめぐる悩みは深い。

 5月最後の土曜日。私は羽田空港から午前7時発の便に乗り、3カ月ぶりに故郷の米子に着いた。

 築55年の実家がまだ新築だったころ、私はここで産声を上げた。戦後の混乱の中、配給の酒で三三九度の杯を交わした親父(おやじ)とお袋が苦労を重ね築いた家だ。私が中学に進むと、親父は自分で子供部屋を増築してくれた。家もまた、家族とともに時を重ねている。

 中2階に風呂と洗濯機がある。階段をたった9段上るだけだが、今の両親にはそれが大変なことになってしまった。長年親父を介護してきたお袋までひざを悪くして、外出もままならなくなった。

 4月にバリアフリー工事をした。「ワシのためなら要らん」という親父を「介護保険を使えば安くできるから」と説得し、トイレを洋式に変え、廊下に手すりをつけた。それだけで自己負担が17万円。風呂までは動かせなかった。

 元はといえば、改築の時に「湯船から月が見えたらいい」と風呂を中2階にするよう提案したのは私だった。まだ大学生で、いずれ親が老いることなど考えも及ばなかった。

    □

 帰省中、私はもう誰も使わなくなった部屋を掃除し、網戸を張り替えた。大工仕事が得意なのは、旧国鉄の技術者だった親父に似たのかもしれない。

 寡黙な親父は涙もろくなり、ふくよかだったお袋は口内がんの手術の後で20キロもやせた。帰るたびに老いていく。それを見るのが悲しい。

 だが体の機能が失われて楽しみだったことができなくなるのは、本人たちが一番つらいだろう。お袋は指の関節が固まってもう編み物ができない。ベランダで見事なランを育てた親父も、両足を悪くして鉢をすべて処分してから、一気に生活意欲がなくなった。

 私は2人に「何もせんでいい」と言って台所に立つ。帰省中は毎食必ず私が作る。かみ合わせの悪いお袋に合わせ、煮物は軟らかめに。地元の魚を買い込みパエリアを振る舞った時は、とても喜んでくれた。

 冷蔵庫を開けると、上の段にある食材がどれも賞味期限切れになっていた。お袋、上まで手を伸ばせなくなってしまったのか。黙って処分した。

    □

 東京のマンションで、親父が株分けしてくれたランを見よう見まねで育てている。大輪の黄色い花をつけた時は写真を撮って携帯メールで送った。

 転勤族だった私がマンションを買ったのは11年前だ。お袋はあまりうれしそうではなかった。親に何かあれば、Uターンすることになるかもしれない。その時売れるように駅に近い物件を選んだ。

 3LDKで当時は4500万円。低金利だしバブル期より値も下がり、買い時だと思った。ところが評価額はさらに下がり、去年マンションごと修繕したのに、もう3000万円を切った。今売ってもローンだけが1000万円以上残ってしまう。

 「定年退職したら帰ってくる? マンションもきれいになったけん、高く売れるでしょ」。お袋は気弱になったのか、がんの手術の後でそう言った。私は事情を話して「すぐには帰れんよ」と答えた。米子に戻っても、再就職先はない。

 最近は「帰ってくる?」と聞かれなくなった。でも本心はどうなのだろう。

    □

 東京に戻ると、お袋から連絡が来た。ひざの痛みを我慢できなくなってきたという。もう手術で人工関節にするしかないが、退院までの3カ月近く、親父を家で1人にしておくわけにはいかない。

 施設嫌いの親父に電話をかけた。「ショート(ステイ)に行かんといけんよ」。親父は「まあそうだわなあ……」と渋々承知した。

 手術が9月に決まり、準備のためにお盆に今年3度目の帰省をすることになった。今度は同郷の妻(54)も一緒だ。
 ◇中高年にハードル高く

 過疎地を多く抱える自治体はUターン促進に力を入れる。「親の世話がある」「長男だから」と故郷での再出発を考える人は少なくない。だが、実現にはハードルも多い。

 財団法人ふるさと鳥取県定住機構(鳥取市)では07年度から県内Uターン希望者への無料職業紹介を始めた。希望者は100人を超えたが、雇用条件が合い就職にこぎつけたのは28人どまり。そのほとんどは若年層で、40代以上は5人しかいなかった。

 中高年になってからの故郷へのUターンには、都会の家族やマイホームをどうするかという問題が絡んでくる。同機構は「都会で働いてきた人にとっては、地元企業の給与は低く、それがネックでためらう人は多い。家族との合意も難しく、妻に知られないように資料を請求してくる男性もいる」と難しさを指摘する。

◇二つの家族の間で--進みつつ結論考える

 両親の遠距離介護で東京と鳥取を行き来する高木秀雄さん(55)はいま、米子市の実家に帰省中だ。父(85)と母(78)はどれだけ介護が必要になるのか。自分たち夫婦の老後は。家族の将来を思いながら、故郷でのお盆休みが過ぎていく。

 今年のお盆は中学の同級生だった妻と米子で迎えることになった。夏の航空運賃は高く、介護割引を使っても2人で往復9万円近く。昨年までは子の学費もあり、夫婦での帰省は難しかった。

 今回の目的はお袋の入院の準備だ。ひざに人工関節を入れる手術を9月に受けさせ、退院までの間、親父(おやじ)には施設に短期入所してもらう予定だった。だが医師に聞くと、お袋は腎臓の機能も低下していて、手術できるかが微妙だという。痛み止めの副作用らしいが、鎮痛剤を手放せる状態でもない。

 お袋はひざが治れば今後もこの家で病弱な親父を介護していくのだろうか。自分が建てた家を離れたくない親父の気持ちは大事にしたいが、お袋も長年の介護で疲れきっている。今までのようにいくとは限らない。

 思えば就職が決まった時、両親は「これからの若いもんは都会に出んと」と快く送り出してくれた。一人息子だから実は近くに置いておきたかったのかもしれないが、そんなことは口にもしなかった。

 故郷を離れた悩みは年々深くなる。でも私は東京での暮らしを選んだことを悔いていない。東京にいたからこそ、息子も娘も進みたい大学に進み、目指す職業に就けた。わが子の夢をかなえやすくするのは親の務め。親父とお袋だって、私にそうしてくれたのだ。

   □

 今回の帰省にはお袋の手術のほかに、妻を自分の実家に帰すという目的もあった。

 東京のマンションから子が巣立ち、今では私たちも夫婦2人きり。今春は娘が就職し、ついに長い子育ても終わった。これまで妻は自分も親に会いたい気持ちを抑え、私だけを帰省させてくれた。この夏は心おきなく家族と過ごしてほしい。

 私は転勤で13回も東京と地方を行き来した。そのたびに合わせてくれた妻や子に申し訳なく、東京に落ち着きたいと会社に希望を出した。代わりに子会社への出向を命じられたが、希望はかなった。妻もローンのためパートに出て、一緒に家を守ってきた。

 その妻は「今後もUターンするつもりはない」という。親は弟と同居している。自分の子どもたちは東京にいて、いずれは孫もできる。私たち家族の地盤はもはや東京なのだ。

 私は来年定年を迎えて再就職すれば、今の会社のように介護のために休みが取れるとは限らない。いざとなれば故郷に飛んで帰りたい気持ちはある。でも1人でUターンすれば、今度は遠距離夫婦。妻の生活をまた私の事情で変えてしまって、いいのだろうか。

   □

 真夏の大山(だいせん)は深い紺色をして、晴れ渡った空にくっきりと姿を見せる。ふるさとに帰ってきた。この山を見るたびにそう実感する。

 介護は先の見えない道だ。15日には東京に戻らなければならない。まだ結論は出せないけれど、手探りで進みながら考え続けていこうと思う。【出典:毎日新聞】

見通しが出来れば、少々のことなら堪えられる。しかし、介護は先が見えない。体力的にも、精神的にも、そして、経済的にも追い込まれていく。それぞれ違う生活基盤がある中で、それを無理に一つにすることは難しい。遠距離介護の難しいところだ

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