8 月 30 2007
検証 新潟県中越沖地震の介護現場(上) 福祉避難所 フル稼働
先月十六日に発生した新潟県中越沖地震から一カ月半。ライフラインの復旧や仮設住宅の整備も進み、日常生活を取り戻しつつある。だが、介護が必要な高齢者には、行き場のない人も少なくない。どんな生活を送っているのか現地を訪ねた。
「冷房もあって一般の避難所より過ごしやすい。でも月末に福祉避難所が閉鎖されたら、東京に戻るしかないと思う」
新潟県柏崎市内の福祉避難所で、大橋和子さん(78)の避難生活は続く。家族はなく、数年前から市内の弟宅に身を寄せ、三年前の中越地震も経験した。「住民票が東京都中野区にある」ため、弟家族と仮設住宅に入るのは「遠慮した」。
先月十六日の地震で、弟の家は半壊。近くの避難所に移り、四日過ごした。「食事の配給はパンかおにぎりで食べにくかった。扇風機はあったが、暑さがこたえた」
大橋さんは被災前に在宅介護を受けていなかったが、保護が必要と判断され特別養護老人ホーム内に被災後に開設された福祉避難所に入った。
福祉避難所は、災害救助法で規定された避難場所で、特別な配慮を必要とする高齢者ら災害弱者を収容する。阪神大震災を受け二〇〇〇年に導入された。食事などの費用は県と国が負担する。県の要請を受け、新潟県老人福祉施設協議会などが職員を派遣、ピーク時には同県内で九カ所開設され、九十三人を受け入れていた。
避難所の責任者、遠藤真一さんは長岡市の社会福祉法人からの派遣。「要介護度の高い人は施設が受け入れている。ここには要介護度は高くないが、虚弱者や内向的な高齢者が多い」と説明する。「ライフラインの大部分が復旧し、仮設住宅も完成しつつあるが、今も避難している人は、行き先の決まっていない人たち」と話す。
被災直後、介護関係者が直面したのは在宅介護を受ける高齢者の安否確認だ。柏崎市は民生委員や保健師に確認作業を依頼、全員の確認ができたのは被災から六日目だった。ただ介護施設も独自に行い、被災翌日には確認し終わった。刈羽村役場でも翌日には全員の安否確認ができた。
次に避難場所の確保に追われた。要介護高齢者は、福祉避難所だけでなく各種介護施設が受け入れて急場をしのいだ。
刈羽村でショートステイやデイサービスをする小規模多機能居宅介護事業所「ももの木」には、地震当日、デイサービスなどの利用者十八人がいた。すぐに近くの一般の避難所に退避した。
だが「この施設の利用者の七割は認知症がある。環境が変わり、夜中に大声を出したり徘徊(はいかい)したりする人が出た」(歌代晃施設長)ため、翌日から全員で施設に戻った。今月中旬まで定員を超える人数を受け入れ、「避難所としての機能を果たした」という。
利用者の大半は復旧に伴い、自宅や家族の元に戻ったが、遠藤鉄太郎さん(93)は妻のツネさん(87)と震災以来、この施設に宿泊している。
訪問介護を受けていた自宅は被災調査で一部損壊と判定され、仮設住宅入居基準外だった。東京に住む長男(63)らと相談し月内は施設にとどまることにした。「施設と縁をつないでいれば、面倒を見てもらえるから」と頼りにする。
先の大橋さんが身を寄せる福祉避難所は、月末で閉鎖されるが、大橋さんの身の振り方も決まっていない。
避難所代わりの介護施設で生活をつないだ高齢者は少なくない。施設やその職員も被災していたが、それを支えたのは、県内外の介護関係者たちだ。【出典:中日新聞】
災害後の災害弱者への取り組みは、まだ模索段階。広域地域の福祉施設の連携、職員の連携など、公的な機関が中心になってシステム構築をするべきである
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