5 月 01 2004
こころの「テロ」2
イラクで拘束された五人の方が、日本へ帰ってきた。
とにかく無事に帰ってきたことが、本当に良かったと思うし、こころから嬉しい。
だが、イタリア人をはじめとした方たちが、まだ拘束されているという、
また、いまだに傷つき、いまもなお、生命を奪われている人たちが多いという現実を前にして、無事解放というニュースは、手放しで喜べないし、こころが痛む。
一日も早く、良い方向へ向かうようにと、ただひたすら祈るばかりだ。
突然、降ってわいたような『自己責任』論。
日本に帰ってきた五人の方々、そのご家族は、どんなふうに思ったのだろう。
私には、到底、想像することが出来ないほど、耐え難い居たたまれない状況だったと思う。
また、海外のメディアから、このニュースを知った世界の人たちは、どんなふうに日本人を見たのだろう。
どうして、こんなふうになってしまったのか、日本人の私でさえ、理解し難い。何故だが、無性に恥ずかしい。
ただ、一つだけ、感じたことがある。
それは、最近の日本、日本人は、その是非について自分で考えることも、考えたことを発言することも、自分の考えと違う他者の考え方も取り入れながら、発展的・建設的に考えていくことも、意識的にしなくなってきているのかもしれない。
つまり、多様性を認めようとはせず、強く排除し、自己検証をすることもなく、一つの方向、一つの意見に強く固執しようとしているように思えてならない。
イラクから帰国し、空港に降り立った様子の中継を見たとき、3人の方々にも、ご家族の方々にも、無事に帰国したという安堵の笑顔はなく、ひどく何かに怯え、厳しい表情だった。
そして、空港前で、「自業自得」というプラカードを掲げて待ち受けていた人たち。
故郷へ帰ることが「怖い」とまで言わせてしまった、この国や日本人。
こころの傷は、二重になり、深い。
同じように、イラクで拘束されたカナダでは、無事に帰れるようにと黄色いリボンを飾り、祈っていたという。
国民性の違い、文化の違い。
そんなもので片付けていいはずの問題ではない。
日本では、ひとつも黄色いリボンが、私には見つけられなかった。
いま、イラクの状況は危機的で、日々犠牲となる人たちが増えていくという悲惨な状況だ。
テレビを通じて、よく知っていて、興味もある。
しかし、もういい。もう見たくない。
状況に任せて、ほどほどにやればいい。
自分には関係ないから、もういいよ。
そっちで、適当にやってよ。どうでもいいから、早く終わらせろよ。
うざい・・・。
私のこころの中で、より大きくなってきている。
何も見ない、見ようとしない。
何も感じない、感じようとはしない。
何も考えず話さない、考えようとせず話そうとしない。
いま、私たちは、目をふさぎ、こころを閉じてしまった。
だからこそ、いまできることを、出来る範囲の中で、何かをしたい。
何も力のない私に、一体何ができるだろうか。
イラクの人たちへの、私の『自己責任』として・・・。
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