10 月 26 2002
二つの紅いあめ玉
「ここ、空いとろうか?」
通学中の電車の中。
どこか懐かしい、聞き覚えのある声に、高校生の歩美は、読んでいた本から声の方向へ視線を移した。
「はい。あっ!!」
一瞬、歩美の息が止まり、床に本を落としてしまった。
歩美が驚くのも無理はなかった。
歩美に声をかけたのは、ちょうど一年前に亡くなった歩美のおばあさんだった。
小柄な、腰をかがめた白髪のおばあさんが、どこまでも優しい笑顔で、そこに立っていた。
「隣の席、空いておろうかのう」
歩美は、パニックになっていた。
自分の隣に置いてあった鞄を急いで膝の上に置き、席を空けた。
おばあさんは、「うん、うん」と二・三回頷くと、ちょこんと歩美の隣に、並んで座った。
しわくちゃな、にっこり笑顔を浮かべながら、まるでダンスでもしているかのように、電車と一緒に楽しく、ゆらりゆらりと揺れていた。
「ほれ。大切な本を落として、あかんぞよ」
おばあさんは、さっき歩美が床に落とした本を拾い、大事そうにさすって、本に付いた汚れをはらうと、歩美に手渡した。
さっきからずっと、おばあさんの顔を見つめたままでいた歩美は、おばあさんの声にハッと気づくと、ゆっくりと本を受け取った。
その手は、ガタガタと震えていた。
おばあさん子だった歩美にとって、いま亡くなったおばあさんと一緒にいること自体、夢の中なのか、とても信じることが出来なかった。
だから、思いっきり右脚をつねった。
「あっ、痛っい!!」
「本当に可愛い子じゃのう。ほっほほほ」
歩美は、自分の右脚を力を入れすぎてつねってしまったことが、とても恥ずかしかった。
しばらくの間、静かな時間が流れた。
おばあさんは、相変わらず電車と一緒に、歩美の隣で楽しそうにゆらり、ゆらりと揺れていた。
「これ、どうじゃ。食べんかのう」
突然、おばあさんは、二つの赤いあめ玉を歩美に差し出した。
「あっ、ありがとう。いただきます」
歩美は、まだ震えている手で、赤いあめ玉を一つ手に取ると、遠慮がちに口の中へ入れた。
口の中いっぱいに広がるリンゴ味の少し酸っぱくて、ほどよく甘いあめ玉を味いながら、少しずつ気持ちが落ち着いていった。
その時だった。
歩美が落ち着くのを待っていたかのように、おばあさんが話しかけてきた。
「学校は、楽しいかのう。お友達とは、仲良くしてもらっとろうかのう」
「最近、私ね。いつでも自然な私でいられる友だちが一人できたから、とても毎日が楽しいよ。もう一人じゃないから・・・」
「ほう、それは良かったのう。ほっほほほ」
おばあさんは、こころから安心したかのようだった。
歩美は、思い切っておばあさんに尋ねてみた。
どうしても、おばあさんのことを確かめたかった。
「おばあさんって、私のおばあさん?」
おばあさんは、それには何も答えず、歩美の両手を取ると、そっと包むようにして握りながら、優しく穏やかに話した。
「これで、おじいさんのところへ行っても、大丈夫じゃのう。歩み、美しく。なぁ、歩美。元気でのう。頑張るんじゃぞ。ほっほほほ」
どこまでも優しい笑顔を浮かべたおばあさんは、すーっと、ゆっくり姿が消えていった。
歩美は、自分のことを何よりも心配して、亡くなったおばあさんが、自分の前に現れくれたのだと思った。
「まっ、待って!! まだ私は、いっぱいおばあさんと話がしたいんだよ。いっぱい、いっぱい話すんだ。待って、おばあさん!!」
歩美の瞳からは、涙があふれていた。
「歩美? 駅、着いたよ。降りるよ」
歩美は、一緒にいた友人に起こされていた。
「えっ! 私のおばあさんは?」
「なに寝ぼけているのよ。怖い夢でも見たの? 泣いてるよ。おばあさんなんて、さっきから乗っていないよ。さあ、降りるよ」
「だって、いまここに私のおばあさんが!!」
そう歩美が言いかけた時、歩美の手には、おばあさんの手の温もりとともに、紅いあめ玉が一つ、残っていたことに気が付いた。
紅いあめ玉。
それは、亡くなったおばあさんが、よく歩美にくれたものだった。
その紅いあめ玉を口に入れると、歩美は、どんなに落ち込んでいても、不思議と元気になった。
「本当にありがとう。私は、もう大丈夫だよ。頑張って、歩いていくよ。おばあさんがつけてくれた名前に、負けないようにね」
誰に言うでもなく、小さな声で自分自身に確かめるようにそう言うと、歩美は、紅いあめ玉を口に入れた。
歩美のこころいっぱいに、甘酸っぱいリンゴの味が、どこまでも優しく広がっていった。
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