8 月 21 2002
Shake each other’s hands・握手
読んでいる朝刊に、「けさのことば」という欄がある。
新聞一面の右下にあり、毎朝、こころに残る短い言葉と、その解説が掲載される。
歴史上の人物が記した言葉、童話や民話の言葉、心理学などの学問的な言葉など、国内外に問わず、いろいろな人たちの言葉が載る。
毎朝、流し読み程度に読んでいて、ほとんど覚えていないのだが、そのときどきの自分自身の心理状態によっては、こころの奥深くストーンと落ちて、いつまでも残ってしまう言葉がある。
そして、数日は、その言葉に引きずられてしまう。
今日も、そんな言葉だった。
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
「浅草観音」高田敏子《『「けさのことば」岡井隆(中日新聞朝刊)』より引用》
神や仏の存在なんて、はっきりと解らないまま手を合わせているが、実は、その合掌の時に、いくらかこころ安らぐのは、どこからくるのかという問に対して、その答えの詩句であると、解説をされていた。
この言葉を私は、別の意味で理解しようとしていた。
別の意味というのは、毎日何気なく交わす人との握手である。
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
考え過ぎかなと苦笑してしまったが、「握手」という言葉から、ふとある言葉を連想してしまった。
右手では、相手と握手をしながら、
左手では、相手へ銃の引き金を引く
むかし見た西部劇の映画の台詞だったかもしれない。
銃まではいかないまでも、どこかそれに似た気持ちで相手と握手を交わしていた自分自身がいたかもしれない。
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
あらためて、この言葉を自分自身に言い聞かせる。
こんな握手がしたいものだ。
こんな握手が出来るだろうか?
疑心暗鬼の中で、相手を傷つけてしまう銃などは、決して持ちたくはない。
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