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8 月 27 1998

ボランティア・人としてのかけがえのない対価

Published by webmaster at 13:46:00 under ことばの杜

《一》

ランティア」という言葉がある。

最近、よくこの言葉を耳にする。それも特別な言葉としてではなく、ごく自然な形で、日常生活の中に入り込んでいる。完全に市民権を得ている。

でも、何時からだろうか。こんなにも、「ボランティア」と言う言葉が聞かれるようになったのは…。

恐らく、それほど昔のことではな思う。ここ数年のことではないか。

未曾有の大惨事となった阪神・淡路大震災。一瞬のうちに何もかもが変わってしまった。そして、いまもなお、苦しんでいる方が大勢いる。この時ほど、自然の驚異と、それを前にした人の力の無力感を強く感じたことがなかった。

と、同時に人間関係の希薄さが問題になる中で、人の暖かさと優しさを考えさせられた。誰もが自分のやれることを、自分の出来る範囲の中で、災害に遭われた人に何か出来ることはないかと考えたことだろう。そして、具体的な行動を起こした。見返りを求めるものではなく、そうせざるを得なかったと思う。

《二》

の阪神大震災から数年が経った。後に報道をされた震災関連の記事の中で、ボランティアとして拘った人たちについて書かれたものが、印象的だった。

「誰かのためにしてあげたい」と燃えていた。しかし、実際にやってはみたものの、厳しい現実を前にした途端、燃えていた気持ちが凪いでしまった。「自分がしんどい想いをしてやることでない。もう、やめようか」と、何回も自問自答して悩みながら続けた結果、人として大切なものを学ぶことが出来た。そして、最後には、「多くのことを学ぶことが出来て、本当に良かった」と感想を締めくくっている。

「ボランティア」は、見返りを求めず、自発的に参加するものと考えられている。だけど、それは、少しだけ違うのかもしれない。「ボランティア」に参加した人には、それまでの自分自身を変えられるだけの生きる力を、生きようとする力をもらっていた。「人としてのかけがえのない対価」を得たのだと思う。

「ボランティア」は、それを受ける人によって育てられている。人は、人によって育てられている。

《三》

ランティア」をする人は、ボランティアを受ける人によって育てられている。でも、ボランティアを受ける人にとっては、どうだろうか。

ボランティアを受けることで、「人としてのかけがえのない対価」を得ているだろうか。誰かから与えられているだけで、何もないのではないか。いや、むしろ、自分の思い通りに動いてくれるボランティアを、いいように利用してはいないだろうか。

これらは、私だけが思うことなのかもしれない。でも、私自身のこととして置き換えた時、はっきりと否定することが出来ない。「甘えて、いいように自分のハンディキャップを利用してしまった」と、少し苦い思いを後でしてしまう。

私自身、重たいハンディキャップを持っている。いまは、身の回りのことは、何とか一人で出来ている。でも、実際には、一人で出来ることよりも、出来ないことの方が多い。

だが、その中にこそ、日常生活を送るうえで、やらなければならないことが数多い。生活の中に快適さを求めれば、どうしても必要に迫られてしまう。

《四》

く思い出す出来事に、こんなことがある。

私は、学生の頃、学生寮で下宿生活をしていた。学校からも遠く離れ、歩く手段しかない私には、体力的にもきつかった。

そんな私を下宿先の管理人さんや友人達が、自分の車での送迎を引き受けてくれた。一つの「ボランティア」である。

ある時、早朝、レポートを書くため、徹夜していた寮の友人へ、私は、寮の内線電話をかけてしまった。そして、いますぐに学校まで送ってくれと言った。その日は、彼しか送ってくれる人がいなかった。

数分後、車のキーを持って、真っ赤な目をした彼が現れた。

「授業に間に合わんぞ」

「すまん。じゃ、行くぞ」

この日、私と彼の最初に交わした会話だった。

少しだけの友人への罪悪感。だけど、それよりも、自分が授業に遅刻してしまうという事の方が、重要だった。徹夜明けの彼のことなど、私の頭からは消えていた。

学校へ向かう友人の車の中で、どちらの方が不機嫌な態度を相手にしたのか、それは言うまでもない。私の方だったなのだから…。

《五》

し苦い想い。

この想いは、あの朝だけのことではない。いまでも、あの「少し苦い想い」をすることがある。

彼と私のように友人関係があったからこそ、そう想えるのかもしれない。「友人だから…」という理由だけで、すべてが許されることだと言うことも出来る。

しかし、それは違う。大切にしたい友人だからこそ、人との関係を作りたいからこそ、よく考えてみる必要があると思う。まず相手のことを想うことが、とても大切なように思える。

ここで、「迷惑」と「我慢」と言う言葉が出来てしまう。「相手に迷惑がかかるから、出来るかぎり自分のやりたいこと我慢する」という想いだ。

ある意味においては、正しいことであるろう。しかし、また、ある意味においては、少しだけ間違っているのかもしれない。

「迷惑」と「我慢」。それは、時として、ハンディキャップを持っている人のこころを縛ってしまう。それだけではなく、ハンディキャップを持たない人のこころさえも縛ってしまうことがあるように思える。「こころの自縛」と思う。

《六》

前、『車輪の一歩』というテレビドラマを見たことがある。

こころを閉ざした車椅子の少女が、車椅子で活動的に生活を送っている少年や、その彼らを支えようとする人たちによって、少しずつ外へと目を向けていく。そして、不安を抱えながらも、社会への力強い初めの一歩を踏み出そうとする。その姿を描いたドラマだった。

このドラマの台詞の中で、こんな一文がある。正確ではないが、こんな内容だったと思う。

「迷惑をかけてもいいじゃないか。生きるために必要な迷惑だったら、かけても許されるんじゃないだろうか。いや、そんな迷惑ならかけるべきだと思う」と…。

私にとって、こころに残る台詞となった。

人と人との関係の中で生きている以上、自分の知らないところで、知らない誰かに支えられている。また、知らない誰かを自分自身が支えている。「生きるために必要な迷惑」は、みんなお互いさまなのかもしれない。

そう。本当の意味での「ギブ・アンド・テイク」だと思う。

《七》

ブ・アンド・テイク」。。人は、人によって支えられている。人の中であるからこそ、傷ついたこころを癒してくれる。もしかしたら、それは、人を育てることなのかもしれない。その想いは、「ボランティア」に通じるところがあると思う。

ボランティアをしている人は、ボランティアを受ける人によって、「より良いボランティア」へと育てられる。「従順」でもなければ、「自己満足」や「施し」でもない。

また、ボランティアを受ける人は、ボランティアをしている人によって、「より良いボランティアを受ける人」へと育てられていく。「召使い」でもなければ、「迷惑・我慢」でもない。

お互いに相手のことを想いあいながら、力強い人の支えを得たことで、生きる力が増して、より生きようとする。そして、また相手のことを、人として支えようとする。

人の関係。想い、支え合う関係。しかし、そのどちらか一方が崩れたりしたら、それは、もう相手を人と見てはなく、傷つけてしまう。

人を育てるのが人なら、人を壊してしまうのもまた、人であるように思う。

《八》

しぶりに会った友人と一緒に、名古屋の居酒屋へ行ったときのことだ。

日ごろ、溜まりに溜まった愚痴を話し合いながらのことだから、お酒もつまみも進んでいく。典型的な悪酔いのパターンにはまりつつあった。

程よく酔いが回って、いい気持ちになった頃、居酒屋の店員さんが新しいご馳走とビールを持ってきた。私も友人も、もう帰ろうと思っていた頃だったので、新しい注文などすることはない。

友人は、注文漏れのつまみが届いたのかと、近くに置いてあった伝票を確認していた時、持ってきたご馳走とビールを置きながら、こう店員さんが答えた。

「あちらのお客様からの差し入れです」

店員さんが示した方向を見ると、五十歳ぐらいの男性二人組が優しい笑顔で、こちらを見ていた。そして、「どうぞ、どうぞ」と言っているようだった。だが、周りにいる他のお客さんたちの声でかき消され、はっきりと聞き取れない。口の動きや身振りで、とても好意的なものだと、何となくわかった。

《九》

ちらのお客様からの差し入れです」

そう言うと、店員さんは、仕事に戻っていった。

友人と私は、お互いの知り合いだろうと思い込んで、会釈で答えたものの、お互いの顔を見合った。

「あれ、お前の知り合いか?」

「知らんぞ。お前の方の知り合いだろ?」

差し入れをしてくれた男性二人組は、すぐにお互いの知り合いではないことが解った。

もう、目の前に並べられたご馳走やビールは、手を付けるわけにはいかない。一時、「まだ、飲めそうだ」と緩んだ顔も、引き締めなければならない。

友人は、丁重にお断りをするべく、男性二人組の席へ行こうと立ち上がろうとしていた。でも、それよりも早く、男性二人組の方からこちらに近づいてきた。食べ掛けや飲みかけやらの御馳走を持って…。

「ご一緒しても、いいですか?」

「えっ、あの…」

「いいから。今日は、楽しくやりましょう」

男性二人組は、優しい笑顔が印象的だった。

《一〇》

のいい男性二人組。その男性二人組に進められ、断りきれずビールを飲んでいる友人。グラスを持てない私は、これからの成り行きが、どうなるかを心配しながら、友人の様子を見ていた。

ふと、男性が私を見ていることに気がついた。どうやら、「早く飲まないか」と言いたい様子だ。もう、ビールを飲まないわけにはいかない。でも、飲むわけにもいかなかった。

いつも飲み物は、持参したストローを使って飲むのだが、帰り支度をしていたため、鞄の中だった。そして、友人の合図があれば、いつでも、この居酒屋から脱出が出来るようにしていた。酒の席とは言え、絡まれるのは気持ちの良いものではない。

いつまでたっても、目の前に置いてあるビールを飲まないのをおかしく思ったのだろう。男性の一人に、余計な気遣いをさせてしまった。

その男性は、何かを考えながら御馳走が並んでいるテーブルを見渡すと、すぐに「あっ」と言う小さい声を上げた。そして、店員さんを大きな声で呼んでいた。

「ストロー一本、ある? 先が曲がるやつかな」

《十一》

性の一人が、居酒屋の店員さんを呼び止めた。

「ストロー一本、ある? 先が曲がるやつかな」  「ストローですかぁ…」

居酒屋の店員さんは、すごく困った様子でクビを捻りながら、ストローを探しに店の奥へ消えていった。それとは対照的に注文をした男性は、にこにこ笑っていた。

その男性は、ストローがないから、いつまでも私がビールを飲まないと思ったのだ。私のことを想って、ストローを注文してくれた男性に対して、何だか申し訳ない想いで一杯になった。そして、ストローを探しに行った店員さんにも…。

どれぐらい待っただろう。私の前に置かれたグラスは、すっかり汗をかいていた。

「すまんなぁ。飲みたいと思うけど、もう少しだけ待ってなぁ。ストローなかったら、俺が飲ませてやるからな」

男性は、笑いながら話した。

私は、居酒屋から出るタイミングも、鞄の中から持参したストローを出すタイミングも、すっかり失っていた。ただ、男性に対して、笑って答えるしかなかった。

《十二》

は、黙ってしまっていた。何となく男性との間に、気まずい空気が流れていた。

そこへ、汗だくの居酒屋の店員さんが、二本の先が折れ曲がるストローを持って現れた。ストローを注文した男性は、少し苛立っていた。

「ありがとう。でも、遅いやないかぁ」

「すみません。お店の他の人と一緒にストローを探したんですが、なかなかなくて…。

別の人に聞いても、『うちは、居酒屋だからなぁ』って言われてしまって…。

その時、店長さんが、五軒先の喫茶店にならあるから、そこでストローを分けてもらってくるようにと言われたので、ダッシュしてきました」

もう一度、店員さんにお礼を言うと男性は、私のビールを入れ替えて、冷えたビールを注いでくれた。

「さぁ、飲んで。冷えたビールにしたから、うまいよ」

そう言いながら、ビールの泡で浮き上がってくる、さっきグラスに入れたストローを押さえていた。

私の「こころの自縛」は、解かれつつある。人のこころによって…。

《十三》

性は、ビールの泡で浮き上がってくるストローを押さえながら、本当に優しい笑顔を見せていた。

私は、その男性に笑って答えると、グラスの半分ぐらいまでビールを飲んだ。緊張をしていて、のどが渇いていたから、本当に美味しいビールだった。友人と私は、男性二人からの御馳走を遠慮なく頂くことにした。

アルコールと居酒屋という開放的な雰囲気のせいだろうか。話が盛り上がって、笑い合うという楽しい雰囲気になるまで、そんなに時間がかからなかった。

男性二人組は、岩手県の盛岡から仕事で、名古屋に来ていたと言った。仕事が一段落し、明日家族が待っている盛岡へ帰るという。

彼らの東北言葉で話す、お国自慢を聞きながら友人は、いい相づちを打ち、彼らにお酌をしていた。お酌が出来ない私は、彼らの楽しい話しを聞きながら笑って答え、彼らが次々に注がれる美味しいビールを飲んでいた。

男性二人組、友人、そして、私。いつしか、どこにでもある、お酒が好きな者同士の居酒屋の風景になっていた。

《十四》

こにでもある居酒屋の風景。ちょっとした、良い人との関係を、また作ることが出来た。

「俺の箸ですまんが、我慢してくれ」

そう男性の一人が言いながら、ときどき醤油を付いたマグロの赤身を食べさせてくれた。

「どうだ、美味いか。慌てなくてもいいからな。ゆっくり食べるんだぞ。

さぁ、次は、何が食べたい。焼き鳥でいいか。ここの焼き鳥は、美味いんだぞ。

こうして串を抜いておくからな。後は、手掴みだっていいから、遠慮せず食べてくれ。何でもだが、出来るかぎり自分で食べた方が、より美味しいというもんだ」

私は、本当に嬉しかった。男性の気遣いもそうだが、自分で食べられる余地を残してくれた。最後まで食べさせようとしなかったのだ。そして、その行為が自然だった。まるで、本当に親しい知り合いのようだ。

その夜は、最後の最後まで、その男性二人組にお世話になってしまった。本当に楽しい出来事であった。

別れ際、私たちは、いつか盛岡での再会を約束した。

どうかお元気でいますように…。

《十五》

酒屋での出来事。良い偶然が、たまたま重なっただけなのかもしれない。

私にとって、私自身のハンディキャップは、いつも人との間に介在してしまう。いい意味においても、悪い意味においても、それが現実だ。

しかし、あの居酒屋の時には、何も介在するものはなかった。ただ、話が好きで、お酒が好きな男同士ということがあるだけだった。

いや、そうではない。現実として、私自身のハンディキャップは、彼らとの間に介在していた。だからこそ、彼らとの人とのつながりが出来たように思う。

私にとって、この出来事は、「人としてのかけがえのない対価」となった。私は、彼らによって、また大きく育てられた。

「ボランティア」。近い将来、大切なキーワードになると思う。都合の良いように利用をし、利用されるものではない。そこには、あくまでも人が介在し、「人としてのかけがえのない対価」を得られるものであってほしいと思う。そして、多くの人が、人の中で癒され、育ってほしいと思う。

私自身、少しずつ「こころの自縛」を解きながら、より大きく人として育っていきたいと思っている。

※これは、7月中旬より岐阜新聞東濃版にて掲載されたものです。

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